機能不全家族の主要記事
健全な家庭では両親が子供の傷を緩和しますが、機能不全家族では子どもが両親の傷の面倒を見る傾向にあります。そして、感情的・心理的に機能不全家族のパターンは世代で引き継がれて再現しやすく、つまり表出の方法は違えども何か心にぽっかり穴があいて、自分がどこか分離しているような感覚のまま生きていきます。
機能不全家族で育ったアダルトチルドレンが身につける4つの役割があります。この役割は、機能不全家族の中で生き残るために身につけた役割です。基本的にアダルトチャイルドは「いい子」です。なぜなら、養育者が「依存症」と「共依存」という関係なら、その子どもは「いい子」を演じるしか生きる道を選択できないからです。
機能不全家族で育ったアダルトチルドレンが家族の中で感じてきた7つのルールの影響は、大人になっても大きく影響します。それは意識的というより無意識的ですので気がつかない間に大人になってもこのルールに縛られることがあります。
子どもにお金をかけて塾にいかせるとか、部屋を一部屋与えてあげているとか、おこずかいは欲しいだけ与えているとか、とても良い環境を準備できる親であることもまた能力であると思う。でも、子どもがそのような恵まれた環境下で、心理的成長がみられないとしたら、それは機能不全家族と言える。
安心、安全でいるための大前提として、家庭の中では【私をだれも傷つけない】ということです。 身体的虐待は、その期間が長ければ長いほど、人格に大きなダメージを与えますので、大人になってからの人間関係に大きく影響を及ぼします。
機能している家庭では、家族から【愛情】と【ここ居てもいい】という感覚を学びます。セラピーの現場でよくあることなのですが、大人になっても、過去の愛してくれなかったと感じている親に、もっと愛してほしかったと切望しはじめると、例外なく、愛してくれなかった親に憎しみを持ち始めます
子どもたちは、父母を憎む自由を与えられていない。なぜなら子どもたちは、結果的に父母の愛を失うかもしれないという怖れが勝ってしまうから。憎む相手がもしも他人ならば、こっそりと憎むこともできる。そういう感情を味わう機会が与えられ、そのような気持ちを、知り合いとともに分かち合うことだってできる。
生まれ順によって、家族の中でどのように振る舞うかが変わってきます。その振る舞いがうまくいくと、それが自分の性格として強化されていきます。大人になって社会にでてみたら、そのような振る舞いがうまく機能しないこともあります。その状況をうまく利用して発展していく人と、そうではない人がいます。
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機能不全家族というシステムの中で、子どもたちはその時の家族の状況に応じて、それぞれの役割を演じるようになります。これをやるとご褒美がもらえる。これをやると罰せられる。といったシステムの中で、役割分担が決められるのです。役割は大きく分けて
子どもたちの社会は狭く、家族の反応が全てというところがあります。そのため、永続的なストレスは、「生き残り」のためのメッセージが絶えず送り出されることになるのです。その結果、大人になってからも「生き残る」ためのふるまいにしばられ、
カウンセリングやセラピーを行うとき、【親から愛されなかった】と話されるクライアントさんは少なくありません。そして、親から愛されなかったのは、【自分のせい】だと思い込んでいます。それって、おかしいなぁと思うのです。
機能不全家族の子どもたちは、家族の状況を極端なまでに、他人に対しても、またしばしば家族内においても、または自分自身に対しても、否認してしまうのは、根本は、見捨てられ不安があるからです。大人になってもこの見捨てられ不安が持ち越されます。さらに、
ただ…母に一定の距離みたいなものは感じていたような気がします。小学生くらいのころ、学校で友達にひどいことを言われたんです。その日帰って母にその話をしました。ちゃんと頷いて聞いてくれていましたし、返事もしてくれていましたが、話が終わった途端、母は私には関係のない話を始めて…その時はたしか父に対しての愚痴みたいなものだったと記憶していますが。
「愛情を感じないとき、どうやって愛すればいいんですか?」「愛は動詞である。愛という気持ちは、愛という行動の結果に過ぎない。だから奥さんを愛しなさい。奥さんに奉仕しなさい。犠牲を払いなさい。彼女の話を聴いてあげなさい。感情を理解してあげなさい。感謝を表しなさい。奥さんを肯定しなさい。そうしてみてはいかがですか?」
誕生してからの数年間は子どもは何事にもオープンで、受容的、好奇心が旺盛、新しい体験と新しい考え方に意欲的です。このように、現在の人間関係には、子ども時代のパターンが何度も何度も再現されています。これが、【人間関係のしくじりパターン】【恋愛のうまくいかないパターン】になってしまう理由です。
そもそも、誰もがいつも日常のさまざまなことに反応して生きています。ですから、反応せずに生きるという至難の技は、仏陀(悟りを開いた人)しか無理なのかなと個人的には思います。でも、「自分はダメだ」と思ってしまったとき(反応してしまったとき)