気が付くといつも自分はダメだと思ってしまうのはなぜなのか?

どんなシチュエーションで「自分はダメだ」と思ってしまうのか

何かに失敗したとき?
他人と比べたとき?
誰にも言えない秘密をもったとき?
誰かに笑われたとき?
認められていないのではないかと思ったとき?
背伸びして疲れてしまったとき?

そもそも、
「自分はダメだ」
と思ったことがない人なんて、
いないのではないかと思います。

でも、
より強く
それも頻繁に
そして長い間
「自分はダメだ」
と思って生活をしているとするなら、

自分という存在の認識(自己価値)に、
歪みが生じている可能性があります。

例えば、
心が健康な人は、
自分の望むことにチャレンジしなかったときに失敗したと判断しますが、

自己価値に歪みがある人は、
どんな状況であろうと、他人に嘲笑されたときに失敗したと判断します。

自己価値は歪みはどのようにおきたのか

機能不全家族で育った子どもたちの中には、
反応的で受け身的な態度のまま
大人になる人も少なくありません。

彼らは自分がするべきことは
両親の要求に合わせることだと
(それがどんなことであろうと)
早い時期に学ぶので、
自分自身の感情や判断への信頼を
育てられないまま生きてきてしまうことがあります。

彼らは、
表現したり、
役立てることができない感情を持つよりは、
感じない方がましだと思っています。

そして、
自分の感情にしたがって行動するよりは、
他人が何を期待して、
何を必要としているかがわかるまで待ってから、
それからその期待通りに反応しようとします。

その反応の仕方は、

ポジティブな場合もあれば
ネガティブな場合もあります。

子どもは親の期待に応えようとします。
それは全ての家庭にある程度見られることなのですが、

機能不全家族では、

親の要求を満たすことに失敗したと感じた子どもは、

自分は「ダメなんだ」と認識してしまうのです。

この瞬間です。
自己価値の歪みの始まりは。

どうすれば「自分はダメだ」と必要以上に思わなくなるのか

「自分はダメだ」と思わないようにすればいい。
そんなことはあなたが一番わかっていることだと思います。

「自分はダメだ」と思わないようにしなくてもいい。
そう、「自分はダメだ」と思ってもいいのです。
ただ、もうひとアクションを付け加えてみてほしいのです。

そもそも、
誰もがいつも日常のさまざまなことに
反応して生きています。

ですから、
反応せずに生きるという至難の技は、
仏陀(悟りを開いた人)しか

無理なのかなと個人的には思います。

でも、
「自分はダメだ」と思ってしまったとき(反応してしまったとき)、
「自分はダメだ」と思ったその自分の気持ちを受け入れてみるのです。

受け入れるとは、
「自分はダメだ」と思ったとき、
「こういうときに自分はダメだと思うんだな」とか
「今私は自分のことをダメだと思っているな」と
自分の感じたことや思ったことを、
俯瞰してみるのです。
これがもうひとアクションです。

受け入れるということが難しければ、
「感じた」ものを「感じた」と理解するだけでいいのです。

「私は今、自分のことをダメだと感じた」と
はっきり自覚するのです。

このもうひとアクションは絶対に省いてはいけません。
これがあって、次のアクションがなされないと、
心は健康な状態になるより、
むしろもっと深刻な状態になっていってしまう可能性があるからです。

この俯瞰して物事を見てみるという学習は、
色々な場面で役に立ちます!

ちなみに、
自分の感じたことや思ったことを、
俯瞰してみるというのは、

感情と事実を分けることに役立ちます。
これを分けないと、
感情に振り回されて
心がとても疲れてしまいます。

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