母はいつもそばにいてくれて世話をしてくれて愛してくれていた。でも…

両親に愛されていました

相談業務を受け付けていたころ、
案外多かった機能不全家族のタイプがある。

目に見える虐待があるわけではないですし、
両親はちゃんと世話をしてくれたという認識がありますし、
愛してくれていたと思っています。

でも、
大人になって社会に出てみたら、
【何かがおかしい】と思っているのですが、
その理由がわからない。

気のせいだと思っても、
何かがおかしいという感覚が拭えない。

本やネットでいろいろと調べたら、
アダルトチルドレンとか
機能不全家族というキーワードに出会うが、
いまいちピンとこない。

なんでピンとこないかって?

だって私、

「両親にちゃんと愛されていたし」

というケース、結構ありました。

確かに愛されていたと思います。
でもそれは、【両親のやり方で】という補足は入りますが…。

子どもの【情緒的要求】は誰が満たすべきなのか

機能している家庭では、
両親が子どもたちのさまざまな要求を満たすことに
労力を使います。

そして、
親自身の要求はお互い同士で満たすか、
他の適当な大人によって満たしています。

ですので、
機能している家庭では、
子どもたちが親の要求を満たす必要がありません。

そのような環境で育つ子どもたちは、
自分の要求を自立したやり方でどのように満たしたらよいかを、
20
年前後かけて少しずつ学びます。

そして親をモデルにして、
子どもたちは自分の情緒的要求を満たすとともに、
自分の子どもたちの要求に応えられることのできる
親になっていくのです。

<機能不全家庭物語ー真由子の場合ー>

母は専業主婦でした。たまに内職のようなことはしていた記憶がありますが、基本はずっと家にいました。ですから、帰ればいつも母は家にいて、家事をしていた記憶があります。毎日、お弁当を作ってくれましたし、食事も母の手料理で食べていました。学校で必要な物は忘れることなく準備してくれましたし、勉強しなさいとうるさく言われた記憶もありません。そのようにして母は私を愛してくれていました。

ただ…母に一定の距離みたいなものは感じていたような気がします。

小学生くらいのころ、学校で友達にひどいことを言われたんです。その日帰って母にその話をしました。ちゃんと頷いて聞いてくれていましたし、返事もしてくれていましたが、話が終わった途端、母は私には関係のない話を始めて…その時はたしか父に対しての愚痴みたいなものだったと記憶していますが。

それは割といつものことでした。今振り返ってみても思います。母は私に興味がなかったのかもしれませんね。そのころから、私は家の外で起きたことを母に聞いてもらうということを諦めたんだと思います。その代わりに、私が母の話を聞いていました。

このように、
目に見える虐待はありませんし、
両親はちゃんと世話をしてくれていますし、
両親のやり方で愛してくれています。

でも、
子どもの情緒的要求を満たす責任が逆転しています。

両親におかれるべき責任が、
子どもたちに課せられています。

子どもは親の情緒的要求を満たす責任を負わされ、
そうすることで本来必要な体験や成長の機会を奪われていくのです。

情緒的要求を満たしてもらえない子どもは、
基本的な信頼と安全について学ぶ機会を奪われて成長します。
ですから、
大人になって社会に出てみたら

【何かがおかしい】

と気づくようになるのです。

「子どもにもっと必要なのは、しっかりとした、しかも理解力のある養育者である。彼(または彼女)は自分自身の要求をその配偶者によって満たされる必要がある。そのような養育者は、自分の持っている人的資源を使って問題を解決できなければならないし、自己責任の感覚がなければならない。それでこそ、このような養育者は子どものためになり、子どもが必要とするものを与えることができるのである。」

ジョン・ブラッドショウ

大人になってからもやり直しできる

機能不全家族出身の子どもは、
家族の機能不全によって作られたとしても、
大人になればもはやそれによって左右される必要はありません。

違和感の理由がわかれば、
大人になった今現在の人間関係で新たに学んでいけばいいのです。

上記で書いた真由子さんの場合、
まずは恋人に過去の事情を話し、
彼との関係の中で、
自分の情緒的要求を彼に話し、
聞いてもらい、
受容してもらうという経験を積み重ねていきました。

話すという行為も、
聞いてもらうという行為も、
受容してもらうという行為も
すべて最初はとても怖くて仕方がなかったと言っていました。

そりゃそうですよね。
長年、拒否されてきたのですから。
また拒絶されるのではないかと
怖くなるのは当然です。

いくつになっても

【何かがおかしい】

と思えば、

これからの人生をもっと活き活きと過ごすために、
人のためにではなく、
自分だけのために一生懸命もがいて、
欲しかった感覚をつかみ取ってほしいと願います。

自分のために一生懸命もがいて
自分の殻を破った勇気ある女性の物語↓

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