(Wikipedia:事象を正負二極で見立てた際の負の側)
ネガティブな幸福者は存在する?
ネガティブというと後ろ向きなイメージです。そして、誰もがネガティブな気持ちになった経験があるのではないでしょうか。ネガティブな状態に浸かっているときは、びっくりするほど、どんなこともネガティブに結びつけられるスペシャリストになっていますよね。一般的には、あまり好まれる思考ではないようです。
やはりポジティブな方が良いのでしょうか?
ネガティブな幸福者というのは存在しないのでしょうか?
人間の思考の7割はネガティブだと言われています。それは生存本能の部分で生き残るためにそういう思考になっているのではないかと言われています。もしそうだとしたら、ネガティブな思考になることに何らかの意味があるのではないでしょうか。
そして、一見ポジティブな発言をしている人からネガティブなものを感じたり、ネガティブな発言をしている人からポジティブなものを感じたりしたことはないでしょうか。
そもそも、なぜポジティブになりたいと願うのでしょうか。
それは不幸せになりたくないからなのかもしれません。では幸せになるには、ネガティブな発言やネガティブな気持ちを排除しなければならないのでしょうか。

人間の機能になぜネガティブが存在するのだろう…
ネガティブな思考や感情になったとき、まず原因探しをはじめます。
経験があるかもしれませんが、原因探しをして楽になることはめったにありません。ではポジティブな原因探しならいいのでしょうか。
いいえ、それも実はあまりオススメしません。
なぜなら、ポジティブに対して執着をしはじめる傾向にあるからです。
執着するとどうなるか…
ネガティブな部分を持っている自分自身を嫌いはじめるからです。

今はデジタルが主流になっていますが、たいていの場合、現像の必要な写真には、ポジフィルムとネガフィルムがあります。
ポジフィルムは現像した段階で色がついているもので、ネガフィルムは現像すると写真屋さんで写真に仕上げてくれるものです。
もしも同じ風景を撮ったら、プロセスに違いはあるけれど、結果的に同じような明暗・色彩の写真になるのです。
そしてポジは主にスライド用、ネガは主にプリント用といったように目的によって使い分けされているということです。
ポジティブもネガティブもどう使いこなすかなのかも?!
サッカー監督 イビチャ・オシム氏の名言より
サポーターの皆さんに分かってほしいのは、
サッカーというのは人生と同じであって、
必ずしも自分の思った方向に物事が動くとはかぎらない。
勝つこともあれば負けることもあるのだ。
勝ちだけを望むサポーターであってほしくない。
どうやってネガティブな自分と付き合っていけばいいのか?
ネガティブをそんなに嫌わなくてもいいのは頭では理解したけれど、でもやっぱりネガティブな自分よりもポジティブな自分にたくさん出会いたいと思っているかもしれませんね。確かにそうですね。でもポジティブの裏にはネガティブが控えで待機していますし、ネガティブな裏にはポジティブが控えで待機していると思いませんか?
【どうすればネガティブのループから抜けられるのだろう…?】
人生で一番長い付き合いをするのは“自分自身”です。どんな時もあなたを支え守ってくれる最後の砦は、あなた自身なのかもしれません。ですから、どんなことがあってもあなたはあなた自身の1番のサポーターでいてほしいと願います。それを理解していただいたと仮定してあえて書きます。
ネガティブがお越しになったら、その思考や感情を味わい尽くし確認した後、それに対して肯定も反論もせず、もといた場所へ帰っていくまで静かに待つこと!

どんな感情も、もともと人間に備わっている機能です。どんな感情にも「意味」や「理由」を探さないことです。何故かと言えば、もともと感情自体は放っておけば通り過ぎていくものだからです。それを複雑にしているのは、その感情に「意味」や「理由」をくっつけて、今までの観念をさらに強化し、さらに過去の強い感情をも繋げて考え始めるからです。
そしてもう一つ大切なこととして、“怒り”の感情について書き記しておこうと思います。この“怒り”の感情においては、無意識になかったことにしてしまいがちな感情です。味わい尽くす前にポジティブに変換しようとする必要はないことを知っていて欲しいと思います。
ネガティブが自分の立場を守ってくれることもある
今までたくさんの人たちと出会ってきて気づいたことのひとつに、ネガティブにはいくつか種類があるということです。
ひとつ例にあげると、
ネガティブ【放っておけない編】です。
あるコミュニティで問題が起きた時、人の同情を上手に得られる人がいます。そういう人は大抵、ネガティブな言葉を発して【あなたは何も悪くないよ】という雰囲気を周りから勝ち取ります。そして、その対極にいる誰かの同情は必要ないというような強そうに見える人が悪者の立場に立ってくれることがあります。
誰が問題の発端なのかとか、原因は何かということはあまり関係がなく、何かが起きたときどのように反応するのかという側面から観察したとき、人は他人のネガティブに共感したときその人の味方になりやすいということです。
これはその人の能力です。そういう見方からするとネガティブは時に役に立つものだと思うのです。
ただし、その能力がとくに強力で、その人の周りの人が振り回されて疲弊していくようであれば、そういう人からはすぐに離れた方がよいとご提案します。
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(Wikipedia:事象を正負二極で見立てた際の負の側) 目次 1 ネガティブな幸福者は存在する?2 人間の機能になぜネガティブが存在するのだろう…3 サッカー監督 イビチャ・オシム氏の名言より4 どうやってネガティブな自分と付き合っていけばいいのか?5 ネガティブが自分の立場を守ってくれることも […]
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