傷ついたチャイルドの核

機能不全家族では、中毒性の恥が植えつけられやすい環境にあります。

つまり、機能不全家族の中にいると、取り返しのつかない失敗をしたという感覚、消えたように小さくなっていなければならないという感覚、期待に添うことなど決してないという絶望に似た感覚などを作り出します。

中毒性の恥は、あなたそのものが悪いということで、しかも、それに対してあなたにはどうすることもできないという感覚になりやすい。

このように、機能不全家族のなかで、

「私は不十分で不完全である」

という中毒性の恥を植えつけられます。それが、傷ついたチャイルドの核の部分となります。

家族という獄中の中で

子どもたちは、父母を憎む自由を与えられていない。

なぜなら子どもたちは、結果的に父母の愛を失うかもしれないという怖れが勝ってしまうから。

憎む相手がもしも他人ならば、こっそりと憎むこともできる。そういう感情を味わう機会が与えられ、そのような気持ちを、知り合いとともに分かち合うことだってできる。

だが、子どもたちには、そういう機会が与えられない。

子どもたちにとって、愛を失うことは、

生き残れないことを意味している

のだから。

親がいなくても生きていける・・・でも、

以前、セラピーやセッションで話し合いを行っていたとき、機能不全家族で育っているのかもしれないという見立てを早めに想定するケースがある。

それは、相談者が現在、生きづらさを感じていることが大前提で、

両親に対して感謝の言葉が多く発せられるとき。

話をしながら、何か核心の部分に触れそうになると、目の動きが変わり、間の取り方が変わり、それを打ち消すように両親に対する感謝の意を述べ始める。

この壁は、なかなか手ごわい…

何を言いたいかというと、目の前にいる相談者はあきらかに大人になっていて、でも、子どもの頃は、機能不全家族の中で、両親を憎むことはタブーであり、憎むと愛されないことを意味していて、それはすなわち、育ててもらえないことを意味しており…

そう、

生き残れないということを本能的に察知した結果、憎むという感情を封印したのである。

その経験は、大人になって親がそばにいて養育してくれなくても生きていけるようになったにもかかわらず、子どもの頃の対処機構は無意識に作動し、憎むという感情を感じそうになると、それを打ち消すように感謝の言葉がでてくるようになるのである。

ある意味、無意識は優秀である。

自分の気持ちを素直に感じるというプロセスを通る

自尊心を高めたり、自分を好きになったり、自分らしく生きたいならば、

まずは、

自分の中から湧き出る感情を信じてあげること。

機能不全家族で育つと、自分の気持ちを封印させなければ生きられない環境になる可能性が高い。他人に嘘をついて、自信があるフリ、自分を好きなフリ、自分らしく生きているフリは出来るかもしれない。

でも、

嘘をついている当の本人は嘘だってわかっている。

だから、心が段々疲弊していく。

(中年以降になると、自分を誤魔化すことが難しくなります。)

どんな感情も、なかったことにしたり、捕まえたり、追いかけたりしなければ、自然に通り過ぎていくものです。

しかし、

感情に主導権を与えてはなりません。

例えば、誰かの言動に腹が立ったとします。そしたら、「私は、こういうことされると腹が立つんだな」と理解するだけです。

その感情を捕まえて「あいつ、許さない」とか、その感情を追いかけて、大切な自分の時間をその腹がたった原因の相手のことをずっと考えて1日が終わってしまうなんてことをしているなら、本当にもったいない!

ただ、
【私は、こういうときには腹が立つんだ】

ちゃんちゃん。でいいのです。